慶應義塾大学 医学部

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慶應義塾大学医学部開設100年記念Webサイトへようこそ。
はじめに医学部関係者よりご挨拶を申し上げます。

慶應義塾 常任理事 画像

医学部開設100年-そして次の100年に向けて

今年、医学部は開設100年を迎えました。今日まで、慶應医学は先人達の努力により私学の雄として日本の医学界を先導して参りました。

慶應医学の原点は、創始者である福澤諭吉先生の『贈医』と、初代医学部長である北里柴三郎博士の“我等の新しき医科大学は、多年医界の宿弊たる各科の分立を防ぎ、基礎医学と臨床医学の連携を緊密にし、学内は融合して一家族の如く…”にあります。皆さんと共に、この慶應医学の原点を振り返り、“臨床の慶應”と言われてきた原点を見つめ直し、世界に冠たる大学病院、総合医学府の構築を目指しましょう。

そして、来年春の新病院棟完成後には、医学・薬学・看護医療学部が一体となり、基礎医学と臨床医学に予防医学が融合し、官・民とも強固に連携した新たな信濃町キャンパスを実現させましょう。この開設100年を機に世界と戦える慶應医学の基盤を構築し、次の100年、素晴らしい環境の下で思う存分活躍してくれる若手に、慶應医学の将来を託しましょう。

前慶應義塾常任理事

戸山 芳昭(54回生)

Yoshiaki Toyama

1975年慶應義塾大学医学部卒業。1991年慶應義塾大学医学部助手、その後、専任講師を経て1998年医学部教授(整形外科学)。2005年慶應義塾大学病院 副病院長、2007年病院長、2009年慶應義塾常任理事、2016年大学名誉教授。専門は脊椎・脊髄外科、神経科学、運動器再生医学。医学博士 。

慶應義塾大学医学部
これからの100年に向けた抱負

北里柴三郎博士が初代学部長として慶應義塾大学医学部を開設したのが1917年であります。まさに今年2017年、私たち医学部は開設100年を迎えました。北里柴三郎初代医学部長は医学部開設時に「基礎医学と臨床医学の連携を緊密にし、学内は融合して一家族の如く」という基本理念を示し、この志が現在まで継承されています。そして、私たちは開設100年を迎えるにあたり、「大学とは、学問をする所である」という決意を新たに固めました。

慶應義塾大学医学部にとって、学問とは、「教育」「研究」「診療」の実践であります。このための病棟建築を含むHard面での整備とともに、「仏に魂を入れる」ためのSoft面での整備を教職員が一体となって進めております。慶應義塾大学病院は2016 年に臨床研究中核病院として認定され、基礎研究の成果を臨床に応用するシームレスなサポート体制を構築し、十分な科学に裏打ちされた新しい医療の開発に取り組んでいます。新病棟ではこれをさらに発展させ、がんのprecision medicineやiPS細胞を用いた世界初の脊髄や心筋の再生医療、これまで診断さえ付かなかったような難病のゲノム解析による診断法の確立など、まさに基礎-臨床一体型医学を体現する世界に冠たる医療の実現が計画されています。

また、総合大学として医療と関連の深い、薬学部、看護医療学部、理工学部など、慶應義塾の英知を集約した学問も盛んに行なわれています。22世紀に訪れる医学部開設200年を目指し、長期的プランに基づいた取り組みのもと、世界に冠たる医学府を構築して行きたいと思っております。

慶應義塾大学医学部長 画像
慶應義塾大学医学部長

岡野 栄之(62回生)

Hideyuki Okano

慶應義塾大学医学部長(2015年~)。慶應義塾大学医学部生理学教室教授(2001年~)。専門は分子神経生物学、発生生物学、再生医学。元大阪大学医学部教授。日本神経科学学会副会長、International Society for Stem Cell Research (ISSCR) Board of Director、日本再生医療学会理事を務める。紫綬褒章受章(2009年)。

詳細プロフィール
慶應義塾大学病院長 画像
慶應義塾大学病院長

竹内 勤(59回生)

Tsutomu Takeuchi

慶應義塾大学病院長(2013年~)。慶應義塾大学医学部リウマチ内科教授(2009年~)。専門は関節リウマチを始めとする膠原病全般、自己免疫疾患、感染症など。医学博士。 日本内科学会理事、日本炎症・再生医学会理事長、日本シェーグレン学会理事長、他関連学会の理事を務める。

詳細プロフィール

ソフト・ハード共に充実した
新しい病院を目指して

慶應義塾は医学部が2017年、大学病院が2020年にそれぞれ開設100年を迎えます。

開院以来、創立者福澤諭吉の「独立自尊」、「実学」の精神にもとづき、初代医学部長・病院長北里柴三郎が医学部開設時に説いた「基礎・臨床一体型の医学・医療の実現」「学力は融合して一家族の如く、全員挙(こぞ)って努力する」ことを実践してまいりました。

都心の中心部にありながら,緑豊かな神宮外苑と新宿御苑の広大な自然に恵まれ,2万坪以上の広大なキャンパスに建つ当院は、2016年3月に日本発の革新的な医薬品・医療機器・医療技術の開発に必要な質の高い臨床研究や治験を推進するため、国際水準の臨床研究や医師主導治験の中心的役割を担う「臨床研究中核病院」に私学で初めて認定されました。記念事業の中で一番大きな新病院棟建設事業は、その臨床研究を発展させるフィールドとなり、慶應医学の次の100年の礎となるものです。基礎研究で得られた成果を、安全で有効な質の高い医療技術としていち早く患者さんに届けるため、これまで以上に活発に取り組んでいきます。

また現在病院では、建物のみならず運用を含めた新しい病院作りを目指し、その1つとして、2015年10月より外部委員を招き病院機能改革に取り組む会議を設置し、包括的な患者サービスの充実化などを推し進めております。より多くの皆さんに信頼いただける病院であり続けるために、これからも努力してまいります。既にご支援を賜りました皆様には深く御礼申し上げますと共に、今後とも新病院棟建設事業の進展と、病院の発展を見守って下さいますようよろしくお願い申し上げます。

医学部100年の歴史を基盤に
次世代の慶應医学を担う若手の養成を

慶應義塾大学医学部は、北里柴三郎初代医学部長の「基礎医学と臨床医学の連携を緊密にし、学内は融合して一家族の如く」の理念の下に、今まで100年、臨床と研究、その連携を大切にしてきました。その結果、慶應義塾大学は、最も基礎教室と臨床教室の連携に優れた大学の一つであると思います。大学の価値は、学問として新しいものを生み出し社会に貢献することです。臨床応用など全く考えない科学的興味だけで進められた研究が、その学問的な価値に加えて、優れた創薬につながることはいくらでもあり、遺伝子改変技術などを駆使した基礎研究は本当に重要です。また、今では、各種新技術を駆使することにより、患者さんに提供していただいた貴重な検体を用いた研究から新しい科学的発見や創薬のための新規シーズを生み出すことも可能になりました。歴史的にも、病気の研究から、何十兆個の細胞が、何十年間もの間、巧妙に制御し合い成り立っているヒトの体の仕組みの理解がずいぶん深まりました。ヒトと動物では異なる点も多く、ヒトの病気は同じ病名でも病態は多様であり、臨床研究等を通じて研究を進めることは大変重要です。それは医学研究科の研究の特色の一つでもあり、医療開発を通じて社会貢献にもつながります。今、医学部100年の歴史の節目に、これまでの実績を活かし、次の100年に向けて、生命科学・基礎医学・臨床医学・社会科学とその連携研究をさらに発展させ、その中で、将来世界で活躍できる若手を養成していきたいと思います。

慶應義塾大学大学院医学研究科委員長 画像
慶應義塾大学大学院医学研究科委員長

河上 裕(59回生)

Yutaka Kawakami

慶應義塾大学医学研究科委員長(2015年~)。医学部先端医科学研究所 細胞情報研究部門教授(1997年~)。1980年慶應義塾大学医学部卒業後、国立大蔵病院内科、慶應義塾大学医学部 血液感染リウマチ内科助手として、内科医として勤務後、1985年から米国南フロリダ大学免疫学教室、1987年から1997年までNIH国立がん研究所(NCI) (Steven Rosenberg博士) 、1989年にはカリフォルニア工科大学生物学教室(Leroy Hood博士)に留学。2005年から2015年まで先端医科学研究所所長を務める。2005年Thomson ISI highly cited researcher , 2011年からAcademy of Cancer Immunology メンバー、2015年から日本がん免疫学会理事長。

詳細プロフィール
慶應義塾大学医学部三四会長 画像
慶應義塾大学医学部三四会長

武田 純三(52回生)

Junzo Takeda

略歴
1973年 慶應義塾大学医学部卒業。1987年慶應義塾大学医学部専任講師、1988年一般集中治療室副部長から助教授を経て、1997年医学部教授(麻酔学)、一般集中治療室部長。2005年慶應義塾大学医学部長補佐、2009年病院長、慶應義塾評議員。2017年大学名誉教授予定。専門は麻酔学、集中治療学、ペインクリニック。

医学部100年を迎えて

慶應義塾大学医学部は、1917年(大正6年)に北里柴三郎先生によって三田山上に『医学科予科』として設立されました。その後陸軍用地であった信濃町を購入し、1919年(大正8年)に医学科本科の授業が開始されました。福沢諭吉先生の精神、北里柴三郎先生の教えに基づいて、100年をかけて『慶應醫学』を培ってきました。

医学部三四会は、1920年(大正9年)1月に学生の組織として設立されました。初代会長は当時医学部長であった北里先生でしたが、戦争をはさんで同窓会に移行したことを契機に、OBが会長となるようになりました。現在三四会は、塾の同窓会である三田会の下部組織に属しており、会員が9000名を越す大きな会に成長しておりますし、全国に77の支部を有しております。

空襲で大きな損害を受けた医学部・病院の復興に、三四会は大きく貢献してきました。この度の医学部開設100年を迎えて、老朽化した病院を新たな時代に進んでいくことのできる“世界に冠たる病院”の創設に協力するとともに、100年の歴史の積重ねでできた『慶應醫学』の、この先100年のさらなる発展に寄与したいと考えております。

医学部三四会の目的である「医学部と密接な連携を保ち、会員相互の親睦、医学医術の研鑽に努め、福澤、北里両先生建学の訓えを体して慶應医学の隆盛発展に寄与する」を目指して、医学部・病院の後ろ盾として、慶應醫学を次の100年に向けて隆盛発展させて引継いでいくのが、仕事と考えております。

セレブレーション | メッセージ

慶應義塾大学医学部に関わりのある方々から、
お祝いのメッセージをいただきました。

慶應義塾長 画像
前慶應義塾長

清家 篤

医学部開設100年をお祝いして

慶應義塾大学医学部はいよいよ開設100年の年を迎えました。基礎と臨床を両輪とする慶應医学の理念のもと、今日の隆盛をもたらした先人たちの精進と努力に、慶應義塾を代表して敬意を表しますとともに、今日、医学部、医学研究科、病院において教育・研究・医療の質の向上にご尽力いただいております皆様に感謝を申し上げます。また、三四会の皆様をはじめ温かいご支援を賜っております方々に御礼申し上げます。

私どもの願いは、記念事業の中心に据えられた新病院棟の建設によって、これまで以上に患者さん本位の新しい病院機能を充実させていくことです。医師・看護師・薬剤師・コメディカルが一体となって基礎医学、予防医学、臨床医学の融合された新しいキャンパスを実現させていくことも期待されています。そして開設100年の記念事業によって、教育・研究・医療のすべての面で、世界トップ水準を目指し、次世代の人たちが存分に活躍できるような信濃町キャンパスとなってほしいと考えています。そうした大きな期待とともに、改めて医学部開設100年をお祝いいたします。

東京大学名誉教授 理化学研究所脳科学総合研究センター シニアチームリーダー 画像
東京大学名誉教授
理化学研究所脳科学総合研究センター シニアチームリーダー

御子柴 克彦

慶應医学開設100年を祝う

慶應医学部の開設100年をお祝い致します。慶應の学祖の福澤諭吉先生の独立自尊の学風のもと北里柴三郎初代医学部長により慶應医学部は創設され、基礎・臨床一体で教育 研究 医療を行う慶應医学が作りあげられました。慶應医学のこれまでにあげた成果は高く評価されています。

これからの100年に向かって、スケールの大きい魅力的なリーダーを育てることが次の世代へつなげる意味で大切であると思います。世の中を驚かせるような予想外の発見や生命の基本原理を見出すような研究とそれにリンクした形でのいわゆる疾患発症の機序解明から治療へと進む患者に密着した最高の医療が慶應医学から生まれて欲しいと思います。コンピュータが何でもする事が出来るようになり人間とは何かを問われている時代になっていますが、私達は日常の生活において 個人独自の哲学や文化をもち、また人間に対する愛情をもって、自由な発想で深い思考と揺るぎない信念をもって日常の創意工夫をすることにより未来を切り開いて行く事が可能であると考えます。これからの100年に向かって教育、研究、医療で慶應医学の更なる飛躍をお祈りしております。

参議院議員 画像
参議院議員

古川 俊治

今後100 年のイノベーションの担い手としての期待

医学部開設の1917年当時は、寿命は男女とも40代前半で、結核、胃腸炎、肺炎が3大死因という時代でした。100年後の今日の長寿社会の実現は、予見不可能だったと思います。戦後の科学技術の進歩により、イノベーションのサイクルは大きく加速化しています。2017年現在、全ゲノム解析と人工知能の活用が当座の医療イノベーションの主役と見込まれていますが、それも今後20年位でしょう。医学部100周年に当たり、更にその遙か先の、100年後に在るべき医療と人間社会の理想の姿を提唱しながら、慶應医学部が、様々な領域でイノベーションを牽引していくことを期待します。

福澤先生は、学問の成果の社会での活用の重要性を説かれ、また、優れた発明は、初期には世に異論を惹起するものだと仰っています。慶應医学部には、是非、研究成果を出来る限り実用化し社会へ還元するよう、常に挑戦し続ける学部であって欲しいです。また、革新的技術に対して向けられ易い倫理的法的社会的批判に対しても、科学的検証に基づく正確な見解を社会へ積極的に発信していき、技術の持つ活用可能性を最大限に発揮させる役割を担ってもらいたいと思います。

慶應連合三田会 会長 画像
慶應連合三田会 会長

比企 能樹

福澤先生と北里博士の思いを継いで

医学部開設100年を心よりお祝い申し上げます。

若き日の福澤先生が適塾で学ばれた医学を慶應義塾でもと、慶應医学所を1873年に開かれましたが、諸般の事情から7年で閉鎖となりました。しかし、真の医学教育を塾でという先生の思いは途絶えることはありませんでした。ちょうどその頃、ドイツでノーベル賞級の学問成果を挙げ帰国したものの研究環境が整わず悶々とする新進気鋭の北里柴三郎博士に出会われ、物心両面に多大な支援の手を差し出されました。

福澤先生は惜しくも1901年に長逝されましたが、没後6年の塾創立60年の節目に、北里博士は大恩に報いるべく奮い立ち、医学部創設に向けて当時の西欧医学最先端を行く志賀潔、秦佐八郎をはじめ北島多一、茂木蔵之助介、西野忠次郎等々名立たる医学者を招集して教授に据え、遂に1917年慶應義塾に大学部医学科が開設されました。

慶應医学の礎は綺羅星の教授布陣で華々しく出発し、以降100年を経過しようとしています。開設当初の意気込みは日本医学史を飾る業績として燦然と輝き、その後脈々と研究に臨床に積み上げ実践・発展させようと燃えた先人たちの意欲を忘れてはならないと思います。これから100年の未来に向かって歩みを始める若い皆さんは、全力疾走で新しい医療を目指して頑張られると確信します。しかしながら、学問で名を挙げ、実りを世界に向って誇示するのみでは、福澤先生が目指された真の「医」とは言えず、先生が適塾で学ばれ塾で教えようとされた扶氏医戒の一節「名利(みょうり)を顧(かえり)みず唯(ただ)己(おのれ)をすてて人(ひと)を救はん事を希(ねが)ふべし」という戒めを反芻して前進し、次の100年にも輝ける歩みが記される様にと切に祈念して止みません。